最初のきっかけは、ヒマラヤ保全協会(IHC) のスタッフとして1992年ごろ北米・中米に調査のため派遣された飯田泰也さんが、この『懐かしい未来』の原著Ancient Futuresを見つけたことでした。これはとても大切な本だと思い、当時IHCの事務局長だった私と飯田さんとで、二つほど知り合いのいる出版社に出版の可能性を打診してみました。ところが、期待に反して却下されてしまいました。
そこで、IHCの関係者のほか、「開発援助と人類学」勉強会で知り合った人などに声をかけ、翻訳委員会を作りました。代表は、当時IHC運営委員だった水野正己さんが引き受けてくれました。この時点で分担して下訳づくりを行ったのは、熊野里砂さん、礒桂子さん、服部朋子さん、水野正己さんです。西田正生さんも一部手伝ってくれました。
その後、もう少し翻訳や原稿の直しをする人材が必要ということになり、開発・国際協力関係者が広く参加している開発メーリングリストなどで、協力してくれる人を募集しました。自ら手を挙げ手伝ってくれたのは、荒尾恭子さん、森裕之さん、小林朋子さん、ふじりかさん、山口富子さんらです。
こうして翻訳が一通りできた段階で、出版社に打診を考えましたが、編集者の三浦宗介さんに相談したところ、かなり抜本的に原稿を直してからの方が良いだろうということになりました。そこで、三浦さんが熊野さん、礒さんらの助けを借りながら、翻訳を検めました。「懐かしい未来」という言葉を新聞の片隅で見つけて、本のタイトルとして私が提案したのも、このころだったかと思います。コラムを書かれた津端修一さんには、三浦さんが連絡を取って本の題名として使うお許しをいただきました。
またこのリライトの最中に、小川忠さんという『インドネシア 多民族国家の模索』(岩波新書)などの著作がある方が、すでに翻訳を半分ぐらいして、ヘレナさんに日本での翻訳出版を打診しました。ヘレナさんからの連絡を受け、小川さんと相談した結果、すでにIHCを中心とした翻訳委員会の方が翻訳で先行しているので、小川さんは後方支援の方にまわってくれることになりました。
その後もしかしスムースには行きませんでした。さらに文章の正確を期することになり、今度は水野さんが担当。その間、出版社といくつか交渉してみたけれども、またしても却下。
このころまでにすでに6年が経過していましたが、翻訳に携わっている人たちは私を含めて誰もラダックに行ったことがなく、また著者ヘレナさんに会ったこともありませんでした。最初にヘレナさんと会う機会を私が持てたのは、1999年のロンドンです。彼女が代表を務めるアイセック(ISEC)がグローバルからローカルへという国際フォーラムを開催し、そこにはヴァンダナ・シヴァやデビッド・コーテンといった未来の世界を冷静に見つめた論客が参加しており、地味なテーマであるにもかかわらず、会場が満員で熱気に溢れていたので驚きました。
そしてその後、私は1999年9月から2000年9月まで1年間ラダックに滞在し、チベット伝統医療の調査研究と復興支援のためのボランティアをしながら、ヘレナさんの活動を手伝いました。(ラダックでの活動レポートあり。鎌田陽司個人ホームページ参照)。ヘレナさんの支援で設立されたエコロジーセンターでは、観光シーズン中この本(Ancient Futures)と同名のビデオが上映され、毎日たくさんの人がそこに集っていました。
ラダックからの帰国までは、対外的なことや翻訳メンバーの拡充など後方支援的なことを担当していたのですが、出版に向けての動きを加速するため、翻訳委員会の代表になってあらためて翻訳出版に関する企画書を作成し、委員一人ひとりやヒマラヤ保全協会事務局などの役割分担を整理しなおしました。メンバーは、三浦さん、水野さん、礒さんです。原稿の方はまだかなりのリライトが必要だということがわかり、三浦さんに再度お願いしました。そして出版社と再度交渉をはじめ、山と渓谷社がようやく内諾。また、トヨタ財団からは、「隣人をよく知ろう」プログラムの翻訳出版促進のための助成を得ることが決まりました。(2001年度 D01-B-05)。
本の方はまだ当分リライトのために時間がかかりそうだったので、ラダックで大きなインパクトを与えていたビデオの、日本語版を制作しようと思い立ちました。幸いビデオはたくさんの人の協力を得て、2001年に完成しました(「ビデオの紹介」参照)。そのビデオを使ったワークショップを行うこともできました。また、上記の「グローバルからローカルへ」(原文へレナさん)のパンフレット日本語版(「メッセージ」参照)も、協力者を得て作成することができました。また、私は1998年から海外にいることが多いのですが、ヘレナさんが日本に立ち寄ったときにたまたま日本にいたので、山と渓谷社の節田重節さんらと会い、契約交渉の下打ち合わせを行うこともできました。
ところが、そのうち私の方が忙しくなってしまったのです。原稿のチェックや訳注をつけるのにひどく時間がかかってしまい、翻訳委員会代表としての職務も思うに任せませんでした。結局2002年冬、訳注を一人で書くことをあきらめ、ラダック関係を高木辛哉さんに、チベット仏教関係を飯田泰也さんに依頼。残りを私が書いて、本文に合わせて必要に応じて訳注全体を再修正しました。
編集担当の三浦さんは、ヘレナさんの言葉をきちんとした日本語に置き換えるために、リライトを全面的に担当してくれました。ヒマラヤ保全協会事務局は、事務的な連絡などを一部手伝ってくれました。ボランティアの栗田康二さんは、ヘレナさんが原著で紹介している本のうち、日本で出版されている本を見つける手伝いをしてくれました。高木さんには写真の件でも相談に乗ってもらったほか、ラダックの地図の作成をしてもらいました。
こうして紆余屈折しながら、ようやく出版にこぎつけようとしています。ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。
尚、蛇足ですが本の作成はヒマラヤ保全協会が中心となった事業であり、私はその翻訳委員会の代表です。同時に、それとは独立してビデオやパンフの制作、ワークショップの開催などを私は他の団体と組みながら行ってきました。開発と未来工房(ADF)の設立を機に、ヘレナさんからの了解を受け、彼女のメッセージ全体の紹介はこのADFで行っていくことにしました。